己の環境を嘆くときにつかえる仏教用語5選
自分の不幸を嘆くとき、いったいどんな言葉を使えば伝わるのか迷いますよね。
使い古された陳腐な言葉では言い表せないほどの不運、不遇を嘆く時こそ仏教用語です。
まだ誰も使っていない言葉を用いて自分の感情の独創性を高めていきましょう。
今回はこちらのホームページを参考に執筆しました。
もくじ
厭穢欣浄(えんえごんじょう)
苦しみと悩みが多く穢れたこの世を厭い離れて、きよらかな阿弥陀仏の浄土を願いもとめること。厭離穢士(えんりえど)、欣求浄土(ごんぐじょうど)の略。
具体的な嘆き方)
「この世界の空気は澱んでいる。こんな場所では生きていけない。この世にあって私ほど厭穢欣浄の心が強いものはいないだろう」
火宅(かたく)
この世は苦悩と煩悩に満ちているため安らぐことができない。そういう状態を燃えている家に喩えて、火宅という。また、炎につつまれた恐ろしい世界。迷いの世界。
具体的な嘆き方)
「服もほしいし、美味しいものも食べたい。Kindleで漫画もたくさん買いたいし、音楽もいっぱいダウンロードしたい。スマホも最新機種にしたい。一つ買ってもまた一つほしくなるし、美味しいモノを一回食べたらまた食べたくなる。でも、すべてを叶えるお金はない。私はとても悩ましい。なんという火宅」
「つまり家計は火の車ってわけな?」
倒見(とうけん)
ものごとをさかさまに考える誤った考え方。
具体的な嘆き方)
「君は間違っている。すべて間違っている。いつも間違っている。どうして常に倒見ともいうべき理解をする?私はいつだって君を理解していたいのに。君に理解してほしいというのに。どうしていつも私の願ったことと逆のことをする?なぜ……」
不請之友(ぶしょうのとも)
他人の気持ちを察して助けてくれる友。たのまれなくても進んで助けてくれる友。
具体的な嘆き方)
「嗚呼、僕はいつも世のため人のためになる人間になろうと努力してきた。みんなの不請之友であろうとしてきたというのに、一体だれが僕に親切にしてくれたというのだろうか。この忍土にあって一体だれが僕を救ってくれるのだというのか」
無明(むみょう)
われわれの存在の根底にある無知。すべての苦悩をもたらす原因となるもの。愚かさ、迷い、根本的な煩悩の根源。過去世から無限に続いている無知。
具体的な嘆き方)
「愚かなり!すべてを知ったかのように振る舞う貴様は一体なにを理解したというのだ。たった数か月の付き合いしかない担任教師である貴様の、私のすべてを知っているかのような言動にはほとほと愛想がつきた。貴様のような思いあがった者こそ無明というのだ」
以上です。
どうでしょうか。使える嘆き方はありましたか?
どうせ悲嘆に暮れるなら雰囲気たっぷりで思いっきりいきましょう。
そうすればきっとあなたの嘆きは相手に届くはず。
(牛乳うまい)